2023年9月の初め、友人の子どもと本屋へ出かけた。
その日、本来はひとり静かに本を探す予定でいたのだが、急遽友人の子どもと出かけることになった。
僕らは児童書のフロアで友人の子どもの買い物を済ませたあと、人文科学のフロアへ移動した。
子どもには退屈なフロアのはずで、僕は本を見つけてできる限り早く、次の予定が待つ場所へ移動するつもりでいた。
すると友人の子どもが突然尋ねてきた。
「死ぬってどういうこと?」
僕を見上げるその顔は、その目は、その視線は、答えを返すまで僕を離さぬようだった。
彼のジェスチャーの先には「死」という文字が大きく書かれた本があった。
それで、そして、それは何を聞きたいのだろうか?と思った。
「彼自身の死」について、「誰かの死」について、「死一般、一般的な死」について、そのどれでもない死について。
どう答えたらいいものか考えた挙句「漢字、読めるんだね」と話を逸らして、僕は目当ての本を持ってレジの方向へ彼を促したのだった。
会計を済ませて駅へと続く長くて深いエスカレーターに乗った。
このあと僕らは地下鉄に乗って彼の親であり僕の友人が待つ東京ドームシティへ向かうことになっていた。
友人の子どもは、エスカレーターの透明な内側板から見える底知れぬ暗黒、そこに浮かんでいる様に輝く電飾を眺めて、そのうちに上へ下へと運ばれていく風景に顔を近付けては離して、視角を変えては驚いて、彼は彼の背丈で起こる発見の世界を楽しんでいた。
「(死の本は)大きくて重かった」と友人の子どもが言った。
目を輝かせて、彼の後ろに滲んで過ぎていく電飾みたいに。
僕はその言葉が彼にとっての「死」の重さを表しているように感じた。
けれど、子どもに「死」の重さがわかるのだろうか。
友人の子どもはこれまで「死」という文字を、「死」を目にする機会はあったのだろうか?
目にしたとして疑問を持ったことがあっただろうか?
直前の状況は、家族やペットが目の前で死んだ状況でも、道端の動物や虫の死骸や、まして枯れた草花を見たわけでもない、たまたま目に入った本の帯に書かれた「死」という文字を見ただけなのだった。
それはどういうことだろうか、何を聞きたかったのか。
友人の子どもはこれから向かう遊園地の話をはじめた。
その様子に僕は、彼の中から「死」についての疑問がなくなったかのように思えた。
僕は友人の子どもの疑問を誤魔化したことに少し後悔を感じていたが、彼が「死」について何か特別な印象を持ったわけではなかったように思えて安堵した。
目的の階層はまだ深い。
ふと僕は「もしここから落ちたら...」と「死」についての何事かに憑かれて、友人の子どもをいつでも掴める距離まで近寄って、さっきよりも近寄って、「そんなことは起こるわけがない」と運ばれるまま、地下鉄へ続く階層を待った。
友人の子供が電車のシートで眠っている。
地下鉄からの乗り換え、全身の力が抜けた彼はぬいぐるみのようになって僕の背中に垂れるようにおぶさり、そのまま電車に乗った。
彼の両隣、見るからに親切そうに見える二人の乗客、時折り彼に視線を向ける風で安心する。
しかしこの状況で突然目を覚まして、またさっきの顔で「死ぬってどういうこと?」と聞かれたら僕はどうしたらいいのだろうか。
まったく、そんなことばかりを想像している。
想像しながら窓の外の風景を見ていると、通り過ぎるビルにFiona AppleのPaper Bagという曲を思い出した。
「希望の鳩が舞い降りてきたと思ったらただの紙袋だった」という愛の代償をテーマにした曲だ。
その歌詞を思いだして「死」への疑問と「愛」についての疑問はそう遠くないものかもしれないと思った。
そして僕は「死」について彼に答えたくなかったのではなく、「死」について知りたくなかっただけだったと思った。
ブランシェはデ・フォレについての文章で「幼年期はその謎についてより多くを知っている」と書いた。
友人の子供は僕以上に「死」について理解しているのではないか?
僕はあの視線の先の僕の中の「死についての謎」、その答えがつまった死の扉を開けられてしまいそうで怖かったのかもしれない。
東京ドームシティで友人と落ち合い、その時のエピソードを話すと、これまで「死について」聞かれたことはなかったと言った。
子どもの変化を察知したのか、瞬間不安な様子を見せた友人だったが、その後、子どもが遊ぶ姿を眺めながら彼は自身と家族の近情について話を始めた。
そして「家族はいいよ」と僕に言うのだった。
友人は「世俗的な理由でしかないけれど」と前置きをして「家族は温かい気持ちになる、頑張ろうと思える」と言って、遊具で遊ぶ子どもに手を振りその光景そのものがまるで世俗的じゃないかと笑っていた。
「こんなふうに、家族を持つと昔の自分では考えられないような、こういうこともできる」友人は照れながらそう付け足した。
遊具は一定のスピードで回り続けて、時折り友人の子どもの視線が僕らと交叉する。
友人と僕から子どもへの視線、子どもから僕らへの視線が交叉する。
僕と友人はお互いの視線を殆ど交わすことなく子どもを見続けていた。
会話が途切れる。
沈黙が聴こえて、パースペクティブが重なり、一瞬奇跡が起こる。
見るものと見られるものが入れ替わり、僕は同時に二人と同じ視線をもったように、親でもあり子でもあるような気持ちになった。
遊具が止まり汗で濡れた友人の子どもが僕らの元へやってきた。
友人の子どもは、友人が広げたタオルへじゃれるよう飛び込んだ。
僕はそんな感覚を遠い昔に経験したかのように錯覚した。
「家族はよいものだよ」。
その言葉はつまり、独身でいる僕への友人なりの温かい心配だった。
確かに家族は、他人の家族でさえも温かい気持ちにさせる。
それから数日経って、僕はその日の出来事をまとめることにした。
これを書いているのは、新美術館から少し歩いたところにある赤坂の檜町公園。
そう、何度も確認するが、この出来事もこれを書いているのも2023年9月始めごろだ。
この文章にとって日付はとても重要だ。
いま僕の隣には友人が座っていて、僕が貸したヤーコプ・ベーメの「霊の命について」という本を読んでいる。
その本は十数年前に、神保町の神秘主義系の店の主人が「幻の奇書」だと紹介してくれた本だった。
インターナショナルスクールの子どもたちやその親たちが西陽の向こうでシルエットになる。
僕は数年前ここから少し歩いた先で、精神的な苦痛に苛まれて摂取した向精神薬とアルコールの効果によって西陽の光を絶対的ななにかとして見たのだった。
風によって僅かに秋の気配を感じる。
「香りが秋っぽいな」と投げかけると「あなたは秋っぽいっていつも言っている」と友人が呟いた。
友人の言葉に虚しくなる。
秋が好きなんだ、そう友人を無視して心で返した。
(数年前、心で会話をする女性に会ったが、今ではどうかしていると感じている)。
春でもなく冬でもなく、僕にとっては秋こそがその相貌で自然を認識させてくれる。
ベンヤミンは自然の悲しさは言葉を持たないことにあると書いた。
しかし言語はあり、その言語は風によって、太陽や月の光によってさまざまに現れるその相貌によって語られているのだとも書いた。
それは「言葉を持たないことの嘆き」。
ただのおしゃべりではなく、存在の認識。
自然も自身を認識してくれる誰かが必要なのだ。
自然はいつも嘆いているという。
その嘆きは秋にはよりいっそうの切実さをもって胸に迫ってくる。
中平卓馬だっただろうか、良い写真を見たときの感動を「胸を打つ」と言い表したのは。
中平の写真は、認識されることの自然の側からの喜びにあふれているように思える。
秋の気配は、自然の言語は、胸に迫り胸を打つ。
僕は友人へさっきの秋についての仕返しに、一つ「思い出」についての言葉、ある警句をぶつけようと考えた。
しかし思い出せなかった。
友人の方へ目を向けると「あわれな魂は、自分の意思を神に向かわせようとして肝胆をくだいたが、その気持ちは、すべて、神をはなれ、地上の事物に逃げ帰って、神のもとにむかおうとしなかった」そう書いてあるページを読んでいた。
絶対的なあの光を思い出した。
ビルのあいだを都市ではみたことのない大きな白い鳥が飛んでいた。
写真を撮らなければとカメラに手を伸ばした。
しかしそれは子どもが飛ばしていた凧だった。
イメージが写真の邪魔をした。
結局僕は、頭のなかのイメージに目も心も奪われて撮ることができなかった。
自然が、絶えず変化する世界で無限の相貌を表していただけだったのに。
『時の終わりのための四重奏』の第五楽章が鳴った。
それは、もっとも啓示的に、その日を終える様な形で。
それからぼくはいっかげつもたたないうちにまたとりつかれたようにしについてかんがえてもうじゅうぶんだとおもうことがふえてしゃしんをまとめてさんぽにでたじゅうがつむいかのゆうがたにこうれいしゃがうんてんするくるまにひかれたのだ。