この文章を書いているのは南千住、ドヤ街と言われる街の入り口付近にあるホテル。
あるきっかけからこの街に来るようになって8ヶ月、南千住はいつのまにか馴染みの場所になってしまった。
昔、それは僕が20代中ごろ、山谷と言われるこの付近には早朝に開店する安価な立ち食い寿司屋があった。
しかしすでに閉店していたみたいで、そうした記憶のドヤ街は変わってしまったかのように思えた。
現在の南千住は、例えば関西のそれとは大きく違って、語られるよりもかなり静かだ。
それでも活気がないともまた違う、新しい建物や若者や子連れの夫婦も多く見かけるし、東京の他の街と同じように生活の場として再編されているように感じる。
治安の悪さは感じないし、弁えて動いていれば、むしろ前向きなパワーや人間の温かみを感じることさえあった。
ホテルを出て自転車にまたがる。
カメラの露出を合わせて目的地へ向かう準備をする。
今日はどのルートで目的地へ向かおうか。
ルート1はスカイツリーを左斜めに見て、464号線を南下して浅草、蔵前、馬喰町…。
ルート2は三ノ輪方面へ向かい、土手通りを南下、谷中、上野、秋葉原…。
ルート3は白髪橋を渡り曳舟方面へ、そして隅田川沿いを南下、森下、清澄白河、月島...。
どんなルートでも、南千住に泊まっているときの目的地のほとんどは、戸田ビルのある京橋だった。
自転車のスピードで風景がわかりやすく変化していく。
京橋へ向かうどのルートでも見えてくる街の成り立ち。
僕はこうした時間のなか、何度となく師匠と歩いた下町の東京を思い出し(特に森下は師匠とよく撮り歩いた。その足で月島へ向かいもんじゃ焼きを食べるのが定番コースだった。)、そして初めの頃は高梨豊の東京の写真群を思い出していた。
2023年の交通事故とリハビリに伴う高齢の祖母との生活で、身体的にも精神的にも苦痛と後遺症を抱えた僕は、何かしら回復のきっかけを必要としていた。
2024年、来年には表現活動ができるだろうと希望を持ったが、後遺症はたびたび僕の身体を制限し、祖母の症状の対応では精神を絶望が侵食していた。
つい最近出版された究極Q太郎さんの詩集のタイトルは『散歩依存症』。
タイトルを見て、散歩に依存することで鬱を乗り越えたいつかの自身の日々を思い出したが、2024年あたりのその頃は、そもそもまともに歩くことができなかったわけで、散歩に依存することもできない困難な日々だったと今になって回想する。
展示などもってのほか、これほどの絶望は他にはなかった。
それでも僕は表現に関する本を読むことだけはやめなかった。
特に関心をもって読んでいたのは、2023 ICP Infinity Awardsを受賞したAriella Aïsha Azoulayが関わった『Collaboration: A Potential History of Photography』という本だった。
この本の関心について書くととんでもない時間がかかるのでやめにするが、端的に言えば、まさにそのタイトルにあるように協働、キュレーション、アーカイブ…写真を、その歴史や関係性を再編、再読すると言った内容だ。
同じ頃、僕は僕自身の事故と超後期高齢者という祖母との経験を通して、これまでにない新しい「表現の形」を模索していた。
それは実際には「表現の形」と言っていいのかわからない、薄い輪郭の何かと何かの境界が溶け合うような、ぼんやりとしたものだったけれど。
そして『Collaboration…』について、ワードを調べたり、翻訳するうちに行き当たったのが、戸田建設の新しいビルTODA BUILDINGSで始まるラーニングプログラムAPK STUDIESだった。
「これだ」と思った。
そんなわけで、APK STUDIES第一期成果展が始まり、そして終わった。
事故から始まる僕にとっての一つの時間が終わったのだ。
APK STUDIESについてはまたいつか書けたら良い。
一昨年亡くなった地元の友人、省吾さん。
高校生のころ、省吾さんに「Jazzは何を聴いたらいいですか?」と尋ねると「マイルスとギル・エバンス」と返ってきた。
それから僕は、少しして上京し、マイルスとギル・エバンスのいくつかのアルバムを経て、二人の共作とも言えるアルバム『Sketches of Spain』を買った。
僕には実験音楽のように感じられてとても好きなアルバムになった。
それからたくさんの時間が過ぎて再会した省吾さんに『Sketches of Spain』の話をすると「駄作!」と言われた。
それを聞いて僕は大いに笑った。
ねぇ、本当に…省吾さんを知る人なら、そんな一刀両断な彼の感じを思い出すでしょ?
APK STUDIESの展示タイトルは、そんな省吾さんへ少しだけオマージュを捧げている。
今作のタイトルを変更しなければいけない必要に迫られていた時、たまたま目に入ったアルバムが『Sketches of Spain』だった。
あのような肩肘張らない展示なら、省吾さんも来やすかっただろうな、と思う。
そう、つい最近ナム・ジュン・パイクの”Bye Bye Kipling”を横浜で観た時も省吾さんを思い出した。
坂本龍一やルー・リードが出ているとてもやかましい祝祭的な作品だ。
横浜美術館にVelvet Undergroundの”Sweet Jane”が響いた時は、思わず省吾さんに連絡したくなるくらいだった。
”Sweet Jane”は都市を愛情を持ってスナップしたような歌詞で、その主人公は都市に暮らす”平均的な”クィアな人々だ。
改めてこうした総合的な表現の話をできる人がいなくなったと感じてまた少し寂しくなる。
けれど反面、省吾さんがいなくなったからこそ、そのタイミングだからこそ今があるとも感じている。
閑話休題。
(しかし何が本線で何を脱線しているといえるのだろうか)
この文章をここまで書き上げて、昼休憩もかねて散歩に出ることにした。
目的地はごくたまにしか開いていない南千住の街寿司だ。
宿を出るとスカイツリーが見えた。
寿司屋へ向かうつもりが、正午の太陽に誘われた。
心のままに歩いていく。
いつのまにか労働者や老人たちが地べたや建物のヘリで佇んでいる場所へ来てしまった。
通りに見える公園は、人が住みつかぬようフェンスだらけでまるで迷路のようだった。
そのうちに、建物と建物の間の1.5人ほどの隙間にたくさんの老人がいるのが見えた。
老人たちは壁で身体を支えながら並んでタバコを吸っていた。
その光景は、彼らが肉体労働者だった頃の履歴を表しているようだった。
対面の新しい高層マンションから若い夫婦がベビーカーを引きながら現れた。
ふと思い出してダンボールを買いにヤマト運輸へ向かう。
敬老室を見かけて、入り口の文言を読んでみた。
僕はその文言に、東京における高齢化社会の一つの在り方を見た気がした。
高度経済成長期に今の東京を作り上げた人たちの街、そしていつの間にか見えなくなり、いま現在は福祉に囲われている街。
この街の人々が丁寧で温かい理由がわかった気がしたし、この街に来ると文章を書きたくなる人たちの気持ちもわかった。
そして愛着の理由も。
宿へ戻ろう。
昼食はコンビニのパック寿司で済まそう。
レジに並んでいると、地元の人が「頑張ってね」と店員に声をかけていた。
コンビニを出ると、地べたに座った酔っぱらいがウサギの着ぐるみを来た外国人を指さして「人間じゃないか!」と叫んでいた。
僕は、この街をできるだけ知った気にならぬよう、できるだけ迷惑をかけぬよう、旅行者風情で宿に帰った。
今回の展示はその多くの時間が家族への感謝だった。
僕の事故でたくさんの心労を家族へかけた。
事故直後のあの脚を見た時の母の顔は一生忘れない。
そしてその後やってきた祖母の変化。
そのために、祖母が安心して生きるための方法を家族みんなで模索した。
祖父が亡くなって以降、僕ら家族は休まることがないくらい難しい時間を経験し続けた。
極め付けが、何度も書くが2023年の僕の交通事故だった。
昨年2025年8月の終わり頃、事故から2年近くが経ち、なんとなくうまく行っているかに思えた身体が急に痛み始めた。
痛みは怪我をした足首ではなく、太もも、腰、首…各所に出てきて、特に腰の痛みは格別だった。
そして、その断続した痛みに於いて、個展の予定を延期しなければいけなくなった時、僕は本当に創作をやめなければいけないと考えて再び絶望した。
一時は椅子にすら座れない状態まで悪化し、京橋へも通えないかもしれないと想像した。
何か一つ行動するたびに、休息が必要な身体になってしまった。
そして、もう一つの障害や薬の副作用によって画面の光が目に痛く、言葉を書くことができなかった。
先週、そんな僕の身体が一つの時間を終えた。
痛みとの付き合い方も覚えて、なんとかやりようはあると、身体を信頼することができるようになった。
そして祖母は、デイサービスへ行くようになり一年が経った。
96歳にして、新しい社会とその仲間を持った。
身体も心も極限まで家の心配ばかりしていた祖母は、時に症状の波はあるものの”ちゃんとおばあちゃん”になった。
長い長い一つの時間が終わった。
あるいは僕はやり遂げて、自分だけのゆっくりとした時間を手に入れたのだ。
長い間SNSの更新や人への連絡や反応をしないでいると、やけに心配されたり、思わぬ噂を立てられたりする。
しかし、放っておいてほしいと思うことが多かった。
僕は僕の回復のために一生懸命なだけだったし、この痛みを誰かと共有するつもりはなかった。
そう、毎日スマホを見ていれば、時間が早く感じられるだろう。
人の動きや更新に焦ることもあるだろう。
痛みや苦しみで承認を誘いたくなることもあるだろう。
驚きと刺激が当然の毎日になるだろう。
世界がそうして回っていると感じてくるだろう。
だけど傷も心も、そして認知症(との付き合い方)も…一歩一歩積み重ねることでしか本質はみえてこない。
そしてなにより、アーティストはスマホを気にするよりも、もっと他に大事なことがあるだろう、いまそんな風に感じている。
最後に、APK STUDIESで多様なメンバーと会えたこと。
それから事務局の人たち、藝との人たち、戸田建設の人たち。
この時間を通して都市で出会った人たち。
途切れるばかりで進まない制作を献身的に支えてくれた友人たち。
数週間返事を返さなくても、さっきまで会っていたように接してくれる友人たち。
おかげさまで僕は回復することができた。
本当に感謝している。
ありがとう。