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4 鯨喰らいのリストカッター
2021.02.08 Mon. 10:44日暮里駅に朝8時。パン屋へ行き、紫の頭をした女の子が作った最高に美味しいパンを食べる。それから上野公園まで歩いて、道すがら知人とすれ違い、気付いたら僕の目の前には野口英世がいる。噴水の周りには凧を飛ばしている親子がいた。青空に浮かんだ凧に、飛んで行く鳩が重なる。海外では鳩のことをフライングラットと言うらしい。都会の鳩は大気中の汚れをまといウイルスを運んでいるのだとか。『ミミック』という映画を思い出す。福島の後輩からもらった辛ラーメンの袋が、ガンクラブチェック、ポリコットンのウールジャケットのポケットの中でシャリシャリ言う。あれから入れっぱなしだったのだ。試験管を光にかざす野口英世の銅像を見上げて、ポケットの上からしばらくシャリシャリさせる。シャリシャリ、シャリシャリ。圧倒的に僕は1人だ。

昨夜は同居人と赤ワインを散々空け、最終的には二人で号泣し、罵り合い励まし合い、トイレへ駆け込んで何もかもを吐き出して寝た。途中救急車のサイレンが聞こえてきて、同居人は「自分たちを迎えにきたのかも。自分たちの生活はまるで映画みたいだ」と言った。意識を無くしてどのくらいか経った頃、ある女の子からの着信で目が覚めた。捕鯨地域出身で、腕にリストカットの痕がある女の子。彼女が商業捕鯨地域の出身だと知ったのは、上野科学館のでかいクジラの前を通った時だった。彼女はでかいクジラをみつけると、地元の鯨料理や捕鯨問題の話をして、その後は鶯谷のお城の方へ消えていった。5年も6年も前の話で、それから連絡をとっていなかったが、いまになってなぜだろうか。三回の着信で携帯は静かになった。メッセージも留守電も無し。
都市は1人になれる。ジョン・ケージの『4分33秒』の鍵盤の蓋を閉める音みたいなもので、自分を知らない人たちが大勢いるからこそ1人を実感できるのだと思う。これが田舎だと本当に1人になりすぎて、カミソリみたいな自意識が内面に迫ってくる。そんな様な撮影に辛ラーメンをくれた後輩は何度か付き合ってくれた。辛ラーメンのシャリシャリを続けながら、科学館のでかいクジラの前まで来た。科学館の入口付近には救急車が止まっていて、担架で横になる男の側で二人の子供がよくわからない顔をしていた。秋色を引きずったような木々が三人の背景になって、なんだか家族の良い風景に思えた。左に行けば鶯谷、右へ行けば上野。考えるまもなく上野駅方面へ向かって梅の花が咲いているのをみかけた。
もしかしたら、あのクジラの女の子はどこかで偶然に僕を見掛けたのかもしれない。そして懐かしくなって連絡してきたのかもしれない。都市は1人になれる。沢山の他人の中に、記憶の誰かや叶うことのなかった人生を見いだすこともできる。「別の世界では二人は兄妹だったのかもね」。もう会うことも連絡もできない人のことを考える。その人がこの中の誰かになっていると思ったら、寂しさや後悔より、同じ世界で生きている実感が湧いてきて少し嬉しい気持ちになった。そして昨夜の着信の理由が愛らしい過去からの悪戯のように思えた。